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Akira

日本知名連鎖餐飲企業專案經理

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(日本語付き)

01: Hikari與我

儘管我是個連踏出去對人說「初次見面,請多指教」都要猶豫再三的人,還是不禁想大膽認定,若和各位讀者們分享「人只要活著,就免不了必須和疾病共存」的這件事情,大家都會是贊同的。而疾病又大致能分為兩種,一種是會先有病兆爾後逐漸加重的疾病,另一種則是毫無徵兆就直接殺得人們一個措手不及。

中風,就是典型屬於後者的疾病。

那一天,Hikari傳了一封mail給我、摺了衣服,看似再尋常不過的幾個動作,卻在他要把衣服收起來的時候,斷了線。那時的我,身在一個離Hikari非常遙遠的地方,不論如何傳LINE或是打電話都未獲回音,就這麼斷了聯繫,讓我感到非常的困惑與不解。在這充滿疑惑的三天裡,我不斷尋找著Hikari,直到終於與他的家人取得聯繫……

腦出血,顧名思義,Hikari的腦中出現了異常的溢血狀況。

所幸,經過急救後的Hikari已經沒有生命危險,但得知這個狀況的我,依然驚訝得癱軟在地,而更令人震驚的事實還在後頭,日後,當我終於得以和Hikari見面的時候,我發現他連我的名字都叫不出來了。這段故事,留待下回再和大家分享。

在日本,每年都有數十萬人受中風所苦、一百萬人以上需要定期去醫院接受追蹤檢查和後續治療。某次,我與六七名好友聚餐聊天時才發現,除了我以外,還有其他三個人,也有父母或是同事中風的經驗。正在閱讀本篇文章的朋友們,周遭可能也有這樣的親朋好友吧?這算是一個十分普遍的疾病。Hikari之所以算是少數群體,是因為他中風發生的年齡在40出頭。通常,中風的風險會隨著年齡的增長而增加,特別是有高血壓的朋友,更需要格外的小心。

當腦出血發生時,腦部被血液強力擠壓,可能會留下後遺症。不僅手腳的感覺會變遲鈍,做任何動作也都會有些微麻痺的感覺;語言、記憶力和認知能力等大腦機能也會變得遲緩。這樣的後遺症就發生在Hikari身上,他沒有病發當時的記憶,所以他對於自己身體上的轉變感到非常的困惑,甚至逢人便說,他是「撞到頭部」才導致這些症狀的發生。自己本身都不了解事發經過,還敢隨便亂說(笑)。順帶一提,英文的中風稱作stroke,所以我想,Hikari所說的「撞到感」應該也是八九不離十了吧。

對了,我還沒介紹Hikari和我之間的關係吧,我們是情同手足的夥伴、相互扶持的伴侶,ヒカリ(Hikari)是筆名,漢字是「光」,英文是「light」。

他的存在,就是我生命裡的那道光。

某天,Hikari獨自度過了一個漫長又寂靜的夜晚,他如此描述道:「這是一條非常安靜的道路,非常安靜。」我猜想,他應該是想不起來「時間」這個詞彙,才使用了「道路」來表達。但在這不經意的一句話間,貼切地體現了他多愁善感的一面。在我腦海裡浮現的,是一個在極度安靜的黑暗空間中,獨自佇立的Hikari;想到這兒,我的情緒不禁有些動搖了。

用一個淺顯易懂的例子來比喻,就像是嘗試著用冰箱裡現有的些許食材做料理,結果卻做出了一道絕世佳餚一樣。Hikari用來描述時間的形容詞,就像這樣。日復一日,我活在Hikari的生命裡,他從背後推著我前進,卻又同時能夠照亮我面前的道路。

在這個系列專欄中,我會和大家分享Hikari和我的小故事,請大家用輕鬆愉快的心情追蹤觀賞。

翻譯 | 庄司佳代      編輯 | 李盈瑩

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01: ヒカリとぼく

はじめましての挨拶もそこそこで恐縮だけれど、生きていれば多かれ少なかれ病気とつきあうことになる、ということにはみんな賛成してくれると思う。そして、病気には徐々に重くなるものと、何の前触れもなく唐突に症状が起きるものがあるということも。
脳卒中というのは後者の代表的なもので、ヒカリはある日、ぼくにメールを一通送り、それから洗濯物をたたんで仕舞おうとしたところで発作を起こしたらしい。脳出血といって、読んで字のまま、脳から出血したのだ。LINEは既読にならないし、電話もつながらない。そのとき遠方にいたぼくはヒカリとの会話が突然途切れたことに戸惑った。3日目に捜索に乗り出し、ヒカリの家族に会って「命には別条なかったけれど、」などという話を聞き、腰を抜かすことになる。ようやく会ったヒカリはぼくの名前も言えなくなっていたのだけれど、その話はまたいつか。
日本では、毎年何十万人も脳卒中の発作を起こす人がいて、その後の治療や経過観察で通院している人は100万人以上いるそうだ。あるとき、6、7人の友人と話していたら、親や同僚が脳卒中を起こしたという人がぼく以外に3人もいた。けっこうメジャーなのだ。この文章を読んでいるあなたの周りにもいるかもしれない。ヒカリがやや少数派なのは、40代前半で発症したことだ。一般に、年齢とともに脳卒中リスクは高まる。高血圧の人は特に要注意だ。

脳出血を起こすと脳が血液に強く圧迫され、後遺症が残ることがある。手足の感覚が鈍り、動きにくくなる(麻痺する)こともあるし、言語や記憶、認知といった脳機能が不自由になることもある。ヒカリにもそういうことが起きた。
ヒカリには発作を起こしたときの記憶がないので、急な変化にずいぶん戸惑ったと思う。人に会うたび「頭を打った」と説明していた。わからないからといって、よくも適当なことを言うものだ。ちなみに英語では脳卒中を stroke というので、「打った感」はあながち遠からぬ感覚なのかもしれない。

申し遅れたけれど、ヒカリとぼくは互いをパートナーとしている。ヒカリ、というのは仮名だが、「光」、lightは、ぼくにとってのヒカリの存在そのものだ。
あるとき、ひとりで過ごす長い夜をヒカリはこう言い現した。「静かな道です。とても静かな。」時間という言葉が思い出せなかったから道と言い換えたのだろうけれど、図らずも映像的でエモい表現になってしまったのだ。しんとした暗い空間にひとり、すっくと立つヒカリの姿を思って、ぼくの感情は揺さぶられた。
卑近な例えでいうと、冷蔵庫にあるものでなんとか食事を作ろうとして、やりくりの結果、傑作レシピが爆誕することがある。ヒカリにとっての言葉紡ぎもそれに近いのだろうと思う。ぼくは、ヒカリの生きる姿に毎日背中を押され、行く道を照らされ、生かされている。
これからこのコラムでみなさんに伝えたいのは、そんなヒカリとぼくの日々の話です。どうぞ、ゆるりとお付き合いください。